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  1996年以前における県内のアマチュアダンス愛好家や競技選手は、ほとんどプロ教室に所属し、その範囲内に おけるダンスパーティ や 競技会参加が中心であり、お互いに活動は限定されたものであった。
  1997年、当時の日本アマチュアダンス協会の会長であった山口 繁氏(種子島出身)は九州他県が、1991年頃から相次いでアマチュア組織の設立と本部加盟を進める中、以前より西日本選手権等の競技会を通じて知己の間柄にあった渡辺 潔氏(本県協会会長、現名誉会長)に本県での支部組織の立ち上げを要請した。
これを受けて、渡辺氏は1997年8月から9月に掛けて発起人を募り、10月1日に鹿児島県アマチュアダンス協会は発足しました。
  当時の会員は約50名であった。その後、11月の発足記念式典(鹿児島市中央公民館)を経て翌1998年の4月の第一回総会おいて、規約が制定され、正式に日本アマチュアダンス協会の鹿児島県支部が設立した。 会員数は、約半年間で360名にまで増加し、同年10月には「国民文化祭おおいた大会」に初めて5組のエントリーを果たすことがで きた。
  1999年2月に日本アマチュアダンス協会は、競技と普及を大きな2本柱とし、オリンピック参加を目指す日本ダンススポーツ連盟(JDSF)に生まれ変わり、同年6月22日には(財)日本体育協会への準加盟が認められた。
このような状況の中、本県では1999年から2001年の間、まず安定したJDSF会員を得る目的で県内各地でのダンス交流会を催し、会員拡充に努めた。
  2000年4月から、鹿児島市教育委員会の後援を得て、鹿児島市中央公民館でより多くの県民を対象に、“春・ダンスの祭典”を2回開催し、広くダンスへの理解を求めた。 一方で、会員向けのダンスフィガー講習会を開催し、JDSF会員の技術向上を図る。 
  特筆すべきは、2001年10月広島県でのねんりんピックに県代表として、4組の選手を送り、ラテンの部で森口夫妻が優勝したことであります。
  JDSFのもう一つの柱である競技会の開催は発足当時からの念願であったが、県内の競技選手の層が薄く実現は難しい状況にあった。しかし、九州各県の協力を得て山下英昭副会長を中心に2002年3月、新築されたキャンセ体育館で、九州ダンススポーツ競技会第1回鹿児島大会を開催し、成功裡に終わることができました。
  2002年4月大重会長の就任にあわせ、「鹿児島県ダンススポーツ連盟」に名称を変更すると同時に規約改正も合わせ行った。東京本部では、この年の7月、文部科学省の生涯スポーツとしての普及事業と、競技スポーツとしての競技会開催を強力に推し進めていくことが、ますます要求されてきました。
  県では2002年8月に15名の公認指導員が誕生し、2004年には新たに約30名の指導員が認定され、県内各地の新規会員・サークルの拡充につながるものと考えている。
   一方、競技会は2003年から会場を鹿児島アリーナに移し、第2回大会 ・ 2004年には第3回大会を実施することができました。今だ他県に比べ会員の競技会意識が薄いが、ジュニアの育成も含め、競技選手を多く輩出する努力をしていく段階にあります。

 ダンススポーツとは

 “ダンススポーツ”って何?といわれても、まだまだピンとこない方が多いのですが、社交ダンスというと、ほとんどの方はイメージがわいてくるでしょう。

実はダンススポーツは、社交ダンスから発展したニュースポーツで、目下オリンピック参加をめざして世界中で盛んになりつつある新しいスポーツです。

社交ダンスが社交、娯楽、レクリエーションという目的であったのに対してダンススポーツは競技を主としながらも、生涯スポーツとして、健康増進や、QOL(Quality of Life)の向上も大きく目的に掲げており、両者の違いは昨今は明確になってきました。ダンススポーツは、音楽に乗ってカップルが演技する美しく華やかなスポーツです。ダンススポーツとは定義すれば、ペアを組んでそれぞれの特徴を生かしつつ対等に役割を担いながら、10種目のジャンルの音楽に合わせて身体全体で時間と空間を表現するきわめて運動性と芸術性の高いスポーツです。               

              ダンススポーツの種目

                 スタンダード種目

   ワルツ、 タンゴ、 ヴェニーズワルツ、 スローフオックストロット、ク イックステップ

 

                 ラテン種目

       サンバ、 チャチャチャ、 ルンバ、 パソドブレ、 ジャイブ