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ブラックプール・ダンスツアー 04.6.12 石丸俊一 (注:文中の*Aなどは関連する写真1を示す) 1.参加にあったって 教室の先生からブラックプールに行きませんかと誘われ、4月になって急に参加を思い立った。旅行主催の日新航空サービスの案内では、コースは三つである。(a)8日間の全競技をカバーする11日コース、(b)6日間の競技をカバーする9日コース、(c)3日間の最も主要な競技を見る6日間コースとなっている。 結局5月28日(金)、教室の一行7名と長崎を後に、成田日航ホテルに前泊し、(b)の9日コースに参加した。このコースの参加者は18名であったが、(a),(b)のコース参加者と小旅行など同じ行動をとった。 主添乗員の堀之内さんのソフトな取りまとめで、終始和やかな雰囲気でツアーを終える事が出来て、感謝に耐えない。 ホテルや街で有名選手を拝見する。聞けば天野先生など今回で27回のブラックプール行きだとか。ツアー初参加で競技にも出ない私ですが、先々この種のツアーに参加する人のお役に立てたらと思い、筆をとった。 2.ダンス観戦記 (1)ラテン ・ 5/29英国時間21:30にブラックプールに到着し、すぐに会場のウィンター・ガーデンに向う。例年5/29(土),6/30(日)はお祭り集会の予定で、ダンスコンテストへの飛び入り参加が可能だった由であるが、今年は取りやめになり、がっかりさせる。その代わり21才以下のアマ・ラテン競技を24:30終了まで観戦。何回転したのか視認出来ないほどのスピードに圧倒されて帰る。 ・ 5/30アマのライジングスターのモダンとラテンをみる。後者はオーストラリアが優勝したが仲間への声援が凄い。チャチャチャのロックなど3m位のところに居た私のお尻を、下から突き上げるような地響きである。足の指で床を捉えろと俗に言うが、生半可な捉え方でない。 この優勝者は私の前で踊っている時、別の組が間に割り込んできた。彼は「23チャチャチャ」の代わりに、「23ニコニコ」と割りこんできた相手のパートナーに微笑みかけていた、周囲をなごませる天性の笑顔で。 ジャッジに毛塚鉄夫先生が居るなと見回していると、反対側にヒルトンがいた。鼻の先まで眼鏡をずらし、遠方を眺め、手もとのペーパーにチェックを入れている。いいオジさん振りに親しみが沸く。 (2)モダン 圧巻は6/4最終日のモダンオープン戦である。ジャッジには相変わらずヒルトンなど有名人が並んでいる。世界からの参加者282人が最初12ヒートに分れて踊り、2回戦 9ヒート、3回6ヒートと選抜されて行く。出場者は入り口近くに全員待機して聞き耳を立てている。3回戦出場直前福岡エイトの富田組の背番号100番が耳に入った。駆け寄って良かったねと握手。、日本のエース檜山組は4回戦まで出場。出場者の丁度3分の1が日本人である。あちこちから日本語の激励が飛ぶ。 3階の天井桟敷にある指定座席には行かず、1階のかぶりつき近くで家内と立ち見する。 このブラックプールモダンオープンを写真で示す。 *@ 結局優勝はイングランドのホーキンス・ニューベリ組となったが、選手達は決勝に到るまで寸刻の緩みも見せられない。国内のデモなどで決して目にしない迫力である。 タイガーを横に4面並べた位の会場を、全力で端から端まで駆け抜け、回転し、そしてピクチャーポーズで見せ場を作る。 (3)幕あい 競技は通常1〜2時間連続して行われ、ゼネラルダンシングと称する20〜30分の幕あいの時間が設けられている。これには競技選手の軽いリハーサルの他、一般の見物客も踊ってよい。競技選手達の多くは左手を下げた練習スタイルで踊っているが、さすがに前バランスの態勢はきちんと作り、足さばきは本番並である。 モダンオープンの2回目の幕あいで、練習スタイルで見なれた顔が足早に近づいて来る。練習着を着たピノ選手とブキャラリ選手だ。人を巧みに縫って素早い踊りを見せていたが、本番は欠席していた。調子が悪かったのか? 私達の仲間は誰も踊らなかったが、のホテルに泊まりダンス装束で観戦し、“ブラックプールで踊った”というのも楽しい。 3.特別セミナー 2日間にわたり、10:00〜16:00の間、30人一まとめでラックスホルム先生による特別セミナーが行われた。外人や、同じツアーのダンス教師の参加も多かった。立ち方の基本に始まり、呼吸法と体の動き、音楽に合わせるダンス力学など高度なものであった。 初日だけ私は出席したが、終りにピノ選手が音楽性の表現について講釈し、スローアウエー、デベロッペ、セームフットランジの定型的流れの中で3種類のタンゴの曲想に応じた表現をして見せた。ピノが与える音楽のテンポのパルスに対するブキャラリの応答は素晴らしかった。スエイの変更、ヘッドフリックなどのタイムデイレイの変更、などであったが、私のレベルではその差を認識することは困難で、あれよあれよと思う間もなく終わってしまった。 私はこれまでピノ選手はダンスのうまいだけの職人と思っていたが、エンジニアリング的に分析的なものの見方が出来る振付士でもあり、世界のファイナリストのレベルの高さを改めて認識した。 参考までに述べると、ここで習った実技の中でスローフォックストロットのウオークでヒール・ツー・トーの中間バランスから体重を移動させて行くやり方が強烈であった。私など聞いたことも無い練習法で、この後数日ふくらはぎが痛んだ。 4.個人レッスン及びカップルレッスン 個人レッスンなどを受けたのはインストラクターや我々のようなレベルの人だけであった。開始前は、街中の小さいホテルの地階の10畳の位の狭い部屋で2組も同時にレッスンするなんてと思ったが、先生も体をストレッチ状態に保ち、汗だくで約束の時間、きちんとしたレッスンを授けてもらい有り難かった。 一言でいえば、ゼニがとやって貰ろた、と言うことか。料金的には日本より少し高い位であるが、日本で習っては来たことでも別の観点から分りやすく指導してもらった。 個人レッスンは女のジェイン先生と初めに組んだだけでダメと言われる。つんのめるまでつま先に重心を移し、クビの重みでカウンターバランスを取りなさいと言われる。フェザーステップ、スリーステップの顔の向きショウルダーリードの量、歩幅を大きくなどで10歩位進んで時間切れ。他に何が出来ると聞かれ、何でも出来ると答えたら、やってみろと言われピボットターンを2回する。少しほめられ30分終了。 カップルレッスンは仲間の中村さんと組み、男のピーター先生に見てもらう。フェザーステップの予備歩を踏み出す。タイミングを早く、もっと大きく踏み出せと言われる。フェザーステップの第1歩はもっと下から上に体をそり上げろ。女性とミゾオチでコネクションをつけ「ハ」の字を保てば男女の足がフリーに動き、どんなでも大きく踊れる。などと基本を45分習う。注意を受けたのは9割は男の私である。 今回は小旅行に3日費やしたが、次回行くとしたらそれを止めて5日間毎日2レッスンくらい受けたいと思った。彼等の英語は分り易く、基本的なダンス用語さえ知っておれば心配無い。 5.ドレス考 旅行会社の案内では、お祭り集会のミニコンペへの出場、タワーホールでのパーテイーなど華やかな雰囲気などが予測され、剣襟の黒のスーツや紺のスーツなどドレスアップに備えた。 所がお祭り集会が中止になり、タワーボールもTシャツで踊る人も多くキンキラのドレスが少数派であった。結局私の場合重たいスーツ2着やダンス着の多くは出番が無く、ホテルのロッカーに吊るしただけとなった。 *A 町のレストランや、ヒルトンホテルなどの夕食でも避暑地の事とてノーネクタイでよく気楽にやっている人も多い。 競技会場は1階最前列はドレスコードはフォーマルとのことであるが、その他はフリーである。 幕あいに踊るのも軽くダンス着で良い。ネクタイはお気に召すままである。 結論的には正規の夕食会などの出席が無く、観戦だけであれば如何に英国であれ、特別に着飾る必要はない。 6.ホテル ツアー参加申込みが遅く、私達は町から歩いて15分くらいのヒルトンホテルに泊まった。近くには比較的いいホテルが並び、目の前は長さ10数キロはあろうか、チリ一つ無い綺麗な砂浜である。 *B 電車、バス、タクシーいずれも夜遅くまで利用できる。ただダンスするためには着替えなど下げて行かねばならず、観戦とツアーが主なら景色が抜群で、良いサービスを受けられるだけに、お勧めである。 今回のツアーで早く申しこんだ人は競技会場のまん前に在るアーンクリフホテルなどの利用が可能であった。 自室から歩いて数分で、観戦、踊り、個人レッスンなどに参加可能で、ホテルが小さくサービスが少し落ちても、観戦の合間には休憩にもすぐ戻れ、ダンス中心の人にはこの方が良いであろう。ツアーの募集は前年の12月後半くらいから始まるとのことなので留意されたし。 7.小旅行 今回のツアーは、私にとってはダンス半分、観光半分であった。1日置きの英国の中心部の日帰り3日間の小旅行である。いずれも朝5時半のモーニングコールに始まる、かなりタフなツアーである。しかし英国の遺産と畜産国としての英国の一端を垣間見る事が出来た。 (1)スコットランド ブラックプールから北へ約500キロメートルを、バスで4.5時間かけエジンバラに着く。高速道路の旅は快適で日本のように防音壁も無く、羊や牛の放牧を楽しく見ていった。道端で牛のマウンテイングが見える。 自称光源氏の日本人のオジさんにガイドして貰い、岩山に建つエジンバラ城を始め、英国王室が滞在する宮殿、など見る。チャールズ皇太子の息子が来るとかで、宮殿内部が見れなかったのは残念。イングランドと長年張り合ったスコットランド、言葉も俺はスコテイッシュしか喋らんと片意地はった古いスコットランドの知人を思い出す。ゴルフ発祥のセントアンドリウスの町旗のカフスボタンを買う。 (2)ウエールズ・リバプール ブラックプールから南へ150キロメートルのリバプールに着く。 リバプールといえばビートルズである。40年前にここで4人でデビューしたが、いま残っているのは2人である。まだ無名時代出演していたキャバーンクラブ、メンバーが建てた学校など見る。 かって日本の造船会社が大変お世話になった町であるが、造船と貿易、移民送りだしの町はすたれ、再生への苦悩が続いている感じ。 カトリックの大聖堂は中央に祭壇があり、円形放射状に信者が座る造りで3000人収容とかで、古い英国の新しい息吹を感じた。 チェスターは更に南へ30分くらいの所に在る。紀元前から栄えた要塞都市で、市の周辺が城壁で囲まれ、外敵を防ぎ、入市の商人からテラ銭を徴収した。 ホエールズの北端をさらっと見た。住民の2割がケルト語を話し、道路標識は英語とケルト語で表示されている。城の休憩所で、お婆さんに言葉をかけられたが、全く理解の外であった。あれがケルト語だったかも。 (3)湖水地方 朝は早かったが、夕方4時半に競技場に戻り、全英選手権最大のモダンオープン戦を見ることが出来た。 湖水地方はブラックプールから170キロメートルくらい北にある。英国王室がお忍で滞在する館、英国女王任命の18世紀の桂冠詩人ワーズワースの館や彼が学んだ200年以上前の小学校、湖水地方最大のウインダミア湖の遊覧船からの見物などを楽しむ。羊牧場に入って暫らく散策したが、一面羊の糞だらけだった。道を渡る羊を待つバスからの写真を示す。 *C 8.気候と白夜 ブラックプールは西経3度、北緯53度50分で人口14.8万人の町である。サハリン(樺太)の北端の緯度と同じであるが、メキシコ湾暖流のせいで総じて温かい。私は7割位の時間を夏の背広と半袖の開襟シャツで過ごしたが、街中では風が強く、合いのコートを羽織った御婦人方も見かけた。 高緯度のため朝は4時半ごろから明るくなり、夜は10時過ぎまで明るい。全英選手権はこうした白夜に近い時期を選び、深夜に及ぶ遊びの環境を整えたのであろうか。 |